するのか、されるのか。
スナック「みちづれ」
以前に、「みちずれ」表記の看板を紹介しましたが、今度は正しいかな表記のお店のようです。
「道連れ」を目的としたかな入力は「みちづれ」が正解です。「みちずれ」でこの漢字が出てくる日本語フロントエンドプロセッサ(今はインプットメソッドか)は、あいまい変換を許していることになります。
あいまい変換は曲者で、正しい日本語表記をどんどん歪めていく元になるような気がします。正しい日本語表記でなければ正しく変換しないのが当たり前のはずなのですが、誤ったかな表記で入力して目的の語句に変換されるのはだめだと思うのです。間接的に日本語を間違った方向へ導いていると思えてなりません。
変換できなければ、正しい日本語表記を辞書で調べるなりして、手間を惜しまないべきだと思うのですがいかがでしょうか。結果的に語彙が増えたり正しい日本語を覚えて誤ったまま使っている日本語を他人の前で堂々とさらけ出して恥をかくことにつながらないはずです。
どうも、辞書を引くという行為が忘れ去られているのではないでしょうか。
と、まあ、愚痴をこぼしているわけですが、お店のほうは客が道連れにされるのか、客がお店の人を道連れにするのか微妙な感じです。もっとも道連れに知り合った人が意気投合してお店に来る。と、いうのもありでしょう。
袖すり合うも他生の縁といいますからね。
おっと、「他生の縁」は「多少の縁」が正しいという説もありますのでご注意を。
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