かなり有名なようですのでご存知の方も多いかもしれません。
住宅と化した高射砲台跡
写真では写せないがこの左奥にもある
敷地内に埋もれる高射砲台跡
上記写真の左置の茂みに埋もれているのがこれである
工場の一部と化した高射砲台
砲台の周囲を含めて基礎と化してしまいそのまま利用
弾薬庫への連絡通路の一部
ちゃっかりガード下と同じように住んでいる
弾薬庫跡は外からはほとんど見えない
陸軍の防空迎撃の要として高射砲台があり、戦後のドサクサで住宅化。現在も住んでいらっしゃいます。もちろん土地の所有者は大阪市です。
まあ、いきさつはどうであれ、立派な軍事施設跡。さすがに高射砲はもうありませんが、砲台の基礎であるコンクリート部分はしっかり残っており、経た年月なりに完全に周囲の景色の中に溶け込んでしまっています。
下手をすると、ちょっとモダンなデザイナーズ建築と間違われる可能性も(ないか?)。
菅原城北大橋の北詰の延長線上にあるため、十三吹田線線の都市計画道路用地として調整区域に入っており撤去される予定にとのこと。しかしながら戦争遺構を保存する運動もあり保存を検討してもらうようにお願いしているようですので、残るか撤去かは、実際には行政の決定になるでしょうから、このまま残されるかどうかというのは微妙なところです。
で、この高射砲ですが1944年に6基の八八式七糎野戦高射砲が設置。柴島浄水場や十三の工業地帯の防空にあたったとの事です。B29などの高高度爆撃機が日本に来るようになった時にはほとんど役に立たなかったかもしれまません。
戦後に周囲にあるマンションの建設などで2基が解体。現存上記写真にある4基と弾薬庫などが残されています。
こういうものを見ると、戦争はまだまだ終わっていないと感じます。
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