昔はお世話になりました。
新幹線0系(新大阪駅)
撮影は2008年9月なのでまだまだ群がる人が少ない
新幹線は東京オリンピック開催の年である昭和39年(1964)に開業。当時走行していた車両が、現在0系と呼んでいるこの車両です。最高時速210kmで走行、新大阪と東京を3時間10分で結びました。
新幹線の登場で日本のビジネスシーンも大きく変わりました。今のように東京への一極集中を加速したともいえるのが新幹線だと思います。新幹線以前は大阪~東京の移動にはまるまる一日近くかかっていたので、基本的に日帰り出張はありえませんでした。出張先にいって仕事をしたら一晩のんびりして翌日帰るというコースだったのですが、新幹線のおかげ(?)で日帰りできるようになってしまいました。
速く移動できることから余裕ができると思いきや全く反対の状態に遷移していくのはなんともはやです。
で、肝心の0系ですがなつかしの車内なども含めて、今一度ご紹介したいと思います。
JR東海ではすでに0系は全面廃止されておりJR西日本でもこだまとして数本が6両編成で運行されるのみになっていました。JR東海は今でも行っている新幹線営業開始当時の16両編成とは、かけ離れた状態で運行していたわけです。
車内客室
開業当時の3列と2列のシート構成は取り外され、すべて2列の構成となっていました。
グランドひかりなどと同じくゴージャスなシートです。
洗面台
こちらはお湯と水を別々に調節するタイプ
洗面台
こちらは温度調節カランのあるタイプ
当時、洗面台がある広い車両と言うのも画期的でしたが、洗面台からお湯は出るわ、石鹸が置かれているわという、旅客車内の装備としては画期的な高級志向の状態です。
乗務員室の窓
新幹線客車部の唯一開く窓が、乗務員室の窓です。
ごらんのように、発車の際に車掌が扉閉などの安全確認を行うため、窓を開いて直接目視確認を行います。
ビュッフェ跡
食堂車やビュッフェが在って当然の時代だったのですが、旅客の志向が列車の高速化に伴い旅行から移動手段と変わったことから徐々に衰退。食堂車が無くなり、次いでビュッフェも無くなり、カフェテリア形式の売店も廃止されています。
男子トイレ
この男子トイレの窓が丸窓だったのもなにやら未来世界を感じさせる意匠だったと思います。
当時、足踏みペダルで水(消毒液)を流していたのですが、いまや自動で流れるトイレと同じく、用便後に人が離れると自動的に薬液が流れ出る仕組みとなっています。
運転席
0系は運転席後から運転室内部が見ることができるようになっています。現行の車両は全て壁になっており、運転室内部は車両内から一切見えないようになっています。
しかしながら、ごらんのように扉の窓から運転室内部を除き見ることができるようになっています。
今と違い、個人情報保護やらテロ対策などといった心配が無い状態では「閉鎖空間」で十分なのでしょう。悲しいことです。
さよなら夢の超特急 ポスター広告
今回の0系の運行終了はJR西日本がかなり前宣伝を行ったこともあり、「さよなら夢の超特急」と題してキャンペーンをはっていました。おかげで撮影する人の多い事、多い事。群がるように携帯電話のカメラでやおら撮影する人だらけ。あとはコンパクトデジカメで撮影する人、少数とはいえないくらい多くの人がデジタル一眼レフで撮影をしていました。
この記事の公開日がこだまとしては運転最終日です。
たぶん、ホーム上は人があふれて警備員が動員される状態だと思われますので近づいておりません。
なくなるということは寂しいことですが、0系は運行時の車両事故がゼロという画期的な安全運用を達成した世界に誇る高速鉄道車両です。ひかりとして最終運行を行った後は保存か、解体かという運命ですが、運用を支えてきた方々に、ひたすら「ごくろうさまでした」としか言いようがありません。
鉄道ファンならずとも感慨深い引退といえると思います。
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