地名合体ではなく人名合体です。
新喜多(しぎた)
こりゃまたどうした、的な地名です。 初めの二文字が正解に至る道が遠そうですが「しぎた」が正解。
このあたりを開発した「鴻池新十郎」「鴻池喜七」「今木屋多兵衛」のそれぞれから一文字を取って付けられた地名で、宝永元年(1704年)の開発後から呼ばれたようです。 よもやそれぞれの名前(当時は姓を名乗ることは無かった)の頭文字をとるとは思いもよらないことだったのかもしれません。
このページは、なんぎが2011年3月14日 12:00に書いたブログ記事です。
ひとつ前のブログ記事は「ちゅう」です。
次のブログ記事は「震災騒動」です。
最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。
コメントする