マータイさん、亡くなりましたが、この精神は生きているでしょう。
リサイクルショップ「もったいない」
ああ、勿体ない。とか、始末の精神というのは日本人特有の志向だったというのは、マータイさんによって逆に日本人に知らしめられました。
勿体ないとか始末の精神というのは、ものを大事に使う、壊れたら修理する。食べ物は残さない。残せば違う料理にして食べてしまうなどなど。
日本の場合は長く使い続ける事で神が宿る、いわゆる付喪神が付くと言われて、ものを大切に使う精神が培われてきました。
しかし敗戦後の経済成長に乗って大量生産・大量消費による経済モデルに移行してしまい、勿体ないの精神が薄れてしまったように思えます。
メーカーも壊れないと新しい商品が売れませんので、耐久消費財の寿命を短く設定することになり、あげくの果てには修理するより買い替える方が安いという始末です。
そんなものの使い方を続けていると付喪神に禍をもたらされます。
そういう風潮で中古家電ショップなどから発展して近年リサイクルショップがあちこちにできました。
でも、「コーヒー一杯100円 もったいない」と読めるカフェの看板ではコーヒーを飲みに入ってくれませんよ。
だって100円が勿体ないじゃないですか。
コメントする